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七福神めぐりに関する最古?の文字資料
七福神の神々が祀られている寺社を巡拝する行為は、江戸時代中期頃から始まったとされています。しかし、初めのうちは有志が自らコースを作って巡拝していたこともあり、古い資料は中々残っていません。一般的には『享和雑記』の記述などから、谷中七福神を江戸(東京)での七福神巡拝(七福神めぐり)の元祖としています。
しかし、白木利幸著『七福神巡拝』を読んでいたら「(谷中七福神の発祥を紹介して)ただし、現存する資料的には山手七福神のほうが古くて、蟠竜寺(弁財天)に安永四年(一七七四)の標石が残る」と書いてあり、いてもたってもいられず、その標石を探しに蟠竜寺(東京都目黒区)へ行ってみました。
これがその石碑です。正面に大きく「岩屋辨財天」と書かれています。岩屋弁財天とは、蟠竜寺に祀られている弁財天で、人工的に作られた洞窟に入っています。向かって左側に「安永四乙未年正月吉日」、右側に「南方第三番/願満地蔵尊/願主 近江屋吉兵衛 伊勢屋忠兵衛」と彫られています。「南方」とは、廃れてしまった南方観音霊場のこと。
そして、重要なのがこの台石部分。「山手七福神/江戸裏鬼門鎮守」と彫られています。これによれば、蟠竜寺の弁財天が山手七福神の一つであり、安永4年(1775)に山手七福神という固定化されたコースが存在した、ということになります。「江戸裏鬼門鎮守」と書かれていますが、これは目黒が江戸の裏鬼門の方角に当たるので権威付けをしたのでしょう。
もちろん、台石は後彫りの可能性もあり(私には不自然には見えませんでしたが)、考証する資料も欲しいところですが、七福神めぐりの歴史を考える上で貴重な資料です。
情報更新
2017年11月20日